2015年10月10日土曜日

帰国しました!

こんばんは。

久しぶりの投稿になってしまいました。

9月29日に無事2年間の隊員活動を終え、成田空港に着き、

10月4日に実家がある北海道へと2年ぶりに帰ってきました。

逆カルチャーショックと呼ばれるものは人並みにありましたが、

北海道に帰ってきてやっと日本へ帰ってきた気がしています。

9月はセネガルの友人たちと最後のお別れをし、ダーラからダカールへ最終上京し、

最終報告会やら表敬訪問やらあり、帰国間際に39度の熱を出し

バタバタしていました。

2年間の隊員としてのセネガル生活、教えることもよりも学ぶことの方が多かったと

いう人は多く、私も同じように思います。

彼らの生活や文化、価値観から学ぶことは計り知れず、気付かされる日々でした。

彼らから学んだ大きな2つのこと。それはPartagerとPardonner。

「分け合う事」と「許すこと」です。

大事なものを少しでも、相手に分けてあげる。それは優しさを分けるようなもの。

食べ物がまさにそうですが、本当に毎日昼ご飯を分けてくれ、

私は彼らに文字通り生かされてました。

だから私もそっと分けることが当たり前になりました。まさに「お互い様」でした。

優しさは伝播する。分け合うことは共に生きていく1つのコツ。

そして「許すこと」。「認める」という表現の方が合っているでしょうか。

車が故障したら仕方がないから待つ。

何か1つダメなら別の方法を考える。相手との違いを認め、許す。

すごく心が楽になります。私もきっと外国人だからということもあったのかもしれないけれど

多くの事を許してもらってきました。寛容な心の彼らに。

だから、私も細かい事には気にしなくなりました。「何とかなる」そう思えるようになりました。

だから「許すこと」は自分も幸せに生きていく1つのコツ。

そしてもう1つ。

この2年間の環境は、

何を見て

何を感じて

何を考えて

どう行動したか

と、とことん目の前のこと、そして自分自身と向き合える環境でした。

少ない制約、そして肩書が何も意味を持たない中、

「私という人間」が試される場でもありました。

今まで出会ったことのない状況に陥った時、自分がどう感じ、どう行動するのか

名前の知らない感情にもたくさん出会いました。

結局自分の中では何が大切なのか、何度も考えました。

自分から行動を起こさない限り、何も起きない環境も最高でした。

本当に全て「自分次第」。

心が折れかける日々もありましたが、一歩外に出ると陽気なセネガル人たちに

声をかけられ、分け与えられ、許され、2年間過ごせました。

心はいつでも彼らと共にあります。

2年間、本当に多くの人々に支えられました。感謝です。

セネガルブログはこれで最後にしようと思います。

今後も、地に足を付け、今を生きる人々と共に、同じ目線で

未来を考えていきたいと思います。それが今後も私ができ、やりたいことです。

セネガルの人々が教えてくれたように。

読んで下さった方、どうもありがとうございました。

また世界のどこかでお会いしましょう。

高木緑


ダーララジオのディレクターのサンバ。記念写真!


一番お世話になったダーラの家族!


2年間の悩みが詰まった活動ノートは計6冊。


成田空港に着いた翌日は25歳の誕生日!ということで同期から花束が。


25年度2次隊、26年度2次隊シニア隊員、無事帰国!

2015年9月9日水曜日

1か月間の大旅行~セネガル・スペイン・モロッコ~

ボンソワール

久しぶりの投稿になってしまいました。

元気に生きております。

YMCA後、約1か月間にわたって、旅行をしていました。

①セネガル

父が8月5日から10日までセネガルに来てくれました。

訪れたのは首都ダカール、任地ダーラ、そして砂漠体験が出来るロンプール。

暑さに参っていましたが、遠方はるばるよく来てくれたことに感謝です。

ダーラでは友達の家に連れていきましたが、友達もとてもよろこんでいました。

父はセネガル料理ももりもり食べていました。市場や虫を興味津々に見る父や

ロンプールで嵐に見舞われたのにも関わらず、私よりも気にせずに寝ているところを見て

私は間違いなくこの人の娘だと改めて確信しました。

あれだけ言っていたラクダにも乗れてよかったです。砂漠の星空はすごく綺麗でした。

なかなか父と2人旅行することはないので、とても貴重な時間で、いい思い出になりました。

来てくれてありがとう!

②スペイン

父が日本に飛び立った翌日、私はスペインのマドリッドに飛び立ちました。

日本から大学時代の友達が2人来てくれて、スペインを12日間一緒に旅行しました。

(残念ながら2人が来れた日程は別々で3人揃ったのは3日間だけだったけれどね!)

訪れた都市は

・南部スペインのグラナダ(アルハンブラ宮殿)
・南部スペインのセビーリャ
・バルセロナ(ガウディ建築や海)
・トレド(世界遺産になっている古都)
・マドリッド

の5つの都市。南部と北部では気温も雰囲気も違って、同じスペインと言えども

違いを感じました。南部ではフラメンコの発祥の地で、タブラオという洞窟のような

場所でショーを見ました。1ドリンク付き、ホテル送迎ありで30ユーロ!

間近でみるフラメンコショーは迫力満点!すっかり魅力に圧倒されました。

感じた事、書きたいことは多くあるのですが、長くなるので、モロッコ編へ。

③モロッコ

友達と別れた後は1人でモロッコへ。

セネガルと同じイスラム教ということで何となく気になっていたモロッコ。

マドリッドからLCCでマラケシュに飛びました。

訪れた都市は

・マラケシュ(市場が世界遺産!迷路のよう)
・エッサウィラ(旧市街が世界遺産)
・カサブランカ

モロッコはスペイン旅行の疲れもあり、比較的ゆっくりしていました。

モロッコはアフリカというよりも中東って感じでした。

今回の旅行で感じたことは大きく2つ。

「歴史」と「美」。

「歴史」

スペイン南部はイスラム教徒によって支配されていた時代もあり、

イスラム建築が残っている場所があります。アルハンブラ宮殿もその1つ。

ヨーロッパだけれど、どこかイスラム教の匂いがする不思議な感覚でした。

トレドにはもともとモスクだった建物に教会が建っていたり。

一方でモロッコに行くと、当たり前ですが、スペインで見たような建築がそこらへんにあり

ああ、本当にここから来たんだなというのを肌で感じました。

モロッコの北部では一部スペインに支配されていた場所があって、そこでは

どこよりもスペイン語が通じるのだとか。

昔から隣国同士、支配し、支配され、影響し合ってきたことを感じました。

またスペインにいるときに、カテドラルと呼ばれる大聖堂を多く訪れましたが、

多くの絵画は聖書の一部の物語を絵にしている事が多く、

聖書のストーリーをあまり知らない私は「すごいなあ」「綺麗だなあ」で終わってしまう事が

悔しかったです。聖書の中身、少し勉強しようと決めました。

新しい土地に足を踏み入れるとき、楽しみの1つは歴史的背景に想いを馳せるときです。

例えば、モロッコのエッサウィラ。スカラの大砲という場所では、大西洋からくる敵から

街を守るため、高い場所に塀と共に大砲が設置されています。

そこに立ったとき、今私が見ている風景は当時、ここにいた人たちが見た風景と同じなのだろうか。

同じだとしたら、その時、彼らは何を思っていたのだろうか。

そこにイメージを含ませるとき、歴史的知識が必要になってきます。

でも、あまりにも歴史的知識が乏しくて、イメージすることすらままなりませんでした。

悔しい。ということで1つ目感じた事、「歴史」でした。

2つ目「美」

それはガウディ建築のことですが、サクラダファミリア。中に入った瞬間にその美しさに

言葉も出ませんでした。「美的感覚」は人によって違うもの。しかし、サクラダファミリアを訪れた

ほとんどの人が「美しい」と思うでしょう。これだけ色んな人種や国籍、文化を超えて、人に

「美しい」と思わせる、そしてそれを創ったのが「人」だということにすごく感動しました。

ぜひ訪れてほしいです。

ヨーロッパの「美」への飽くなき探求心、「美」を表現することへの妥協のなさに

とても感銘を受けて帰ってきました。

いい旅でした。

奥に見えるのがアルハンブラ宮殿(グラナダ)


圧巻のサクラダファミリア


感動の入り口


天井


綺麗なスタンドグラス


ガウディ建築カサ・ミラの屋上


世界遺産カタルーニャ音楽堂で行われたフランメンコショー
前から2列目!最高でした。


カタルーニャ音楽堂


またまたガウディ建築グエル公園


ダリ美術館。唇ソファー


古都トレドの絶景ポイント!


私のマッシュルームの世界を変えてくれた絶品マッシュルームタパス!
in Madrid!


マラケシュの美術館。


マラケシュの旧市街の市場。


お父さんとラクダ!


こんなテントに泊まりました。

2015年8月3日月曜日

最後の活動 YMCAキャンプ

お久しぶりです。

ネット環境から遠のいた生活を3週間ほどしていました。

昨年も参加したYMCAキャンプ。

クールムッサという村で4週間にわたって子どもたちと色んなアクティビティを行います。

私は3週間参加。1,2週目は図工、3週目は体育の週でした。

朝8時半に学校へ行き、9時半から12時までアクティビティ。休憩を挟んで

午後3時に再び学校へ行き、3時半から5時半までアクティビティ。

その他にも反省会やデモンストレーションを行う時間があったり、宿舎も常に一緒で

参加者のなかでも色々な意見や経験を交換で来て、有意義な時間でした。

最後の子どもとの活動が終わりました。

1つ1つ着実に終わっています。8月は旅行の計画が沢山。

9月27日朝に日本につくことが決まりました。

残すところ、56日です。

YMCAの写真をたくさんどうぞ。













1週目メンバー!

2015年7月11日土曜日

住めば都

約2週間ぶりにダーラに帰ってきた。

2週間ぶりの家は、砂がたまっていて、翌日からゴキブリ3匹と格闘。(勝利)

1つ1つプログラムや予定が終わっていって。

そんな今日、外を歩いていたら「アミナー!」って子どもたちが叫んで走ってきた!

「今日テスト終わったんだよ!」

「明日からバカンスだよ!」

と久しぶりに会う子どもたちは元気いっぱいに話しかけてくれて

ホームに帰ってきたなあと。

1人の男の子が走って「アミナー!」って言ってきて、

「テストどうだったの?難しかった?よく出来た?」

と聞いたら、「今回のテスト僕1番だったんだ!!」

と誇らしげにいうその子の顔がまた何とも可愛くて愛しい。

「おお!!頑張ったね!!やったね!!おめでとう!!」

音楽しかその子のクラスではやってなかったけれど

こういうやりとりってすごく嬉しい。

久しぶりに帰ってきて気が付く。

私はもうすっかりダーラの住民だと。

知っている人も、いつも挨拶する人も、子ども達も、仲のいい友人も

みんなみんないつもの風景で落ち着く。

住めば都。

本当にその通りになったと実感。

今週の日曜日から3週間は昨年もいったYMCAキャンプ。

それから父親が来セネガル!

そして8月は私も任国外旅行でスペインとモロッコ。

次ゆっくりダーラに帰って来るのは9月でしょうか。

そうすると2週間くらいしかないんだよなあ、皆とお別れできる期間。

少しずつ終わっていく。そしてまた始まっていく。




バオバブに登っちゃいました

2015年6月23日火曜日

学校での最後の活動

こんにちは。
最近ダーラはすごい砂塵と風で、一瞬で家の中が砂まみれ。
さて、先日大きな仕事が終わりました。
3月4月と教員のストライキが相次ぎ、5月中旬から始めた
図工・体育・音楽に関するアンケート調査。
アンケート作成、配布、集計、分析、まとめ、ワークショップ準備から実施まで
多くの人に助言をもらいながら、20日土曜日に無事開催することが出来ました。
市内にある13の小学校から各学校3人の先生を招待し、全部で37人の先生を招待しました。
しかし19日から始まったラマダン(断食)。ラマダン中は日が出ている間(約6時から19時半)
水も飲めないし、食べ物も一切食べられません。
そして交通費や日当、昼食など何も出ない中での開催。
正直、10人くらいいればいいかな、この厳しい条件の中、
1人でも来てくれたらその先生のために全力を尽くそう。そう思っていました。
当日何と39人の先生が集まってくれ、楽しい議論の場になりました。


ワークショップの流れは
・アンケート結果共有
・問題提起(9つ)
・各グループ、1つの問題に対して解決案を出し、発表
・日本人ボランティアとして解決案提示
・pliage,decoupageのアイディア共有
・参考資料配布

というものでした。というものでした。最後だ!と意気込んで、終わったらスッキリするのかなと思いきや、とてもいい議論が出来ただけに、次につながる出来ることも見えてきて、「もっとこうしたいなあ」とか「先生がたのアイディアを一緒に具現化していきたいなあ」とか思いは尽きませんでした。
学校は後約1週間から2週間で終わり、3か月の長い夏休みに入ります。
これで学校での私の活動は99%終わりました。
後は残りの期間で子どもたちや先生に、感謝と一旦お別れの挨拶をするだけです。

セネガルを変える中心はセネガル人であって欲しい。

今回のワークショップのプログラムを決めるとき、ある先生の助言がとても印象的で
私の見方を変えたものがありました。

その先生は私にこう言いました。「アミナ、君は君が出来ることはやっている。でも全て君が行う必要はないんだよ。君は日本人として出来る解決策を提示する、僕たちも出来る解決策を提示する。
こうやって僕たちに投げてもいいんじゃないか。」

何となく、教える・教えられるという立場の場合、教える立場の方が上のような部分があり
きっと私も先生たちに対して、そのようなものを何処かで抱いていた。
けれど、この先生にこのことを言われた時、「ああ、そうだよね。私だけがやる必要はない。
先生たちにも解決策を提示してもらおう。」何を勘違いしていたのだろう。

立場は違っても、同じように問題を共有し、改善しようとすることに、上も下もありません。
1人1人がアイディアを持ち寄る。そして大きな方向に向かって進む。
それって理想の形なのかもしれないと、最後の最後になって気が付きました。

私は日本人ボランティアとして見てきたことで、解決策を提示する。
あなたたちも、セネガルの教員として、解決策を提示する。
何がいいとか悪いとかじゃなく、1人1人の長所を活かし、立場が違うからこそ
持っている文化が違うからこそ、違う視点から物事を見て、議論して
1人1人が「じゃあこれなら出来るんじゃない」と1歩前進する。

実際に、彼らのアイディアには、ここに2年しか住んでいない外国人からは
出てこないようなアイディアもあって、彼らから引き出すこと、そしてその方向性を
一緒に見据えて進めていくこと。それが国際協力の本来の姿なのかなと感じました。
私たちが物事の中心であってはいけない。

まだまだ報告書やまとめは終わってないですが、
ほっと一息。
この期間、心が何回か折れそうになりながらも、たくさんのセネガル人や日本人に支えられ何とかできました。
Merci beaucoup! Jere-jef! ありがとう!



アンケート結果をグラフを用いて説明。


一緒に開催してくれた教育委員会の視学官のチャムさん。
問題があることをアツく説明しています。


4人1グループで、1つの問題に対して解決策を考えてもらいました。
9つ問題が出てきたでの9グループ。


議論の前に・・・1つのルールを。
絶対に否定しないこと。実現不可能そうでも、否定しないこと。
話し合いの後、明日にでも実現可能そうなものを青マジックで囲み、
長期的なものもしくはっ実現不可能そうなものは赤マジックで囲みました。


各グループ話し合ったことと、出てきた解決策を発表です。


1つ1つのアイディアに丁寧に返答する視学官チャムさん。
9グループあるので、2時間くらい1人でしゃべってました(笑)
飲まず食わずで・・・恐ろしや。(笑)


日本人ボランティアとして提示できる解決策。一緒に活動してきたジョップ先生と一緒に
作品を見せながら説明。


理論だけでは・・・ということで2つ切り絵と小さな紙だけで出来る
ヘリコプターを実演。


子どものように楽しんでくれていました。


最後に参考資料を配布し、集合写真。
39人の先生に視学官、4人の日本人と全員で44人!


当日、きめの細かい気配りにたくさん助けられました。
日本人、さすがです。隣町からわざわざ駆けつけてくれたむらけん(左)。
どうもありがとう!

2015年6月13日土曜日

La vie est difficile

ずっと一緒にバレーをしていたコーチの奥さんが今朝亡くなった

その連絡を聞いた時、彼女の本当に優しく微笑む笑顔が浮かんだ

コーチがどれだけその奥さんのことが大好きだったかも知っている

様態がよくならないのは知ってたけれど

まさか亡くなるとは思ってなかった

コーチの悲しんでいる顔が思い浮かぶ

La vie est difficile...

La vie est courte

La morte est proche ici

人生は困難だ

人生は短い

死がここでは近い

その連絡をくれた友達とその後話していた

「いつか死ぬとわかっていて、絶対に死からは逃れられないと知っていて

この人生は生きる意味があるのか。」

そんなことを言われた。

「働いてきつくて、何百万何千万あっても、お金も家も車も

家族だって、おいていかないといかない。」

この短い人間の人生を、どうして生きる意味があるのか。

いつか終わると知っていて。

答えなんてなかった。

静かに頷くしか出来なかった。

彼女のために祈ろう。

それだけが私たちが合致した答えだった。

彼女に安らぎが訪れますように。

そしてコーチや家族の心が早く癒えますように。

2015年6月5日金曜日

L'homme est le remède de l'homme

Bonjour

体調は大分回復し、お腹の痛み以外は、何事もなく仕事しています^^

今日は何とも有意義な充実した日でした。

アンケート調査の実施から、分析、まとめがほぼ終わり、現在はその結果をどう先生方に

還元するかを検討中なのですが、時間がなかったり、ラマダン(断食)がもうすぐ始まることや

学期末テストでバタバタしていることもあって、なかなか難しいのが現状です。

でも最後までやり通そう!ということで頑張っています。

やっぱり当事者である先生にアドバイスを聞くのが一番はやい。

今日は夕方5時半から7時までコバール先生と、アンケート結果から問題提起、

また実施予定のアトリエ(研修会のようなもの)の内容、図工・音楽の現状や問題点、

先生方が考えている事を率直に話し合いました。

これだけ腹割って話し合えたこと、そしてアンケート結果があったので客観的視点での

ディスカッションが出来た事、彼らがどうボランティアの事を思っているのかを聞けたこと、

また話し合いの中で新たな問題に気づいたりして、とても内容の濃い、有意義な時間でした。

建前じゃなく、心の底から感じていることをお互いにぶつけられて、

そういう先生と出会えて、すごく嬉しかった。この濃いディスカッションをプログラムに還元しないと。

帰る途中、シャレット(馬車)に乗っていたら、中国人の人たちの車が通過して

手を振ってたら、少し先で止まり、乗っていきなよ、と家の近くまで送ってもらった。

家の手前で、ある友人から電話が来て、私とその電話をくれたセネ人との共通の友人の

奥さんが昨日子どもを産んだと知らせを受けた。かなり仲のいい友達なので

1週間後にある子どもの命名式が楽しみで仕方ない。

家の前で、なぜか日本語が少ししゃべれるセネ人に話しかけられる。

話を聞くとONG関係者で日本の福岡に行ったことがあるらしい。

家の前で少し話をする。話している途中、知り合いの先生が通る。

日曜日に家にアンケート調査とアトリエ関係のプログラム相談に行くことを約束する。

日本語を話すセネ人とバイバイすると、隣の家の子ども(自称私の息子)のモハメットが

アミナ~!と言ってきた。少しあやしていたら、他のところからアミナ!と呼ばれ

店の前で呼んできたおじさんと話をする。

やっと家に帰る。

何だか・・・・・・・・・本当に知り合いが増えたな~2年間(まだ約4か月あるけど)

ダーラに住んでいるんだなぁとしみじみ。

セネガルでの生活は、本当に知り合いが多ければ多いほど豊かなものになる。

人の距離が近い事がたまーに嫌になるときもあるけれど、

L'homme est le remède de l'homme

Nit nitey mooy garabam

上がフランス語、下がウォロフ語。

意味は「人が人の治療薬だ。」

困った時、苦しいとき、どうしようもないとき、

スッと手を差し伸べてくれたり、彼らの能天気さに、あぁ、大したことじゃないか!と

思わせてくれたり。

この諺はまさにセネガルを表しているような気がします。


夕方有意義なディスカッションをしたコバール先生と!


叩くものがあれば、なんでも楽器になっちゃいます。


いい顔~!


週に2回行っている学校の先生と。子どもとは来週が最後の週になります。